就職への王道は学校だけなのか
就職は何のためにあるか、
親の手を離れ自身によって自身を養う手段だとすれば、
その自身を養う場所としての就職がある。
それまでの道として、なぜ学校というものがここまで幅を効かせているのか?
なぜ、学校という場所が就職への道になってしまうのか?
それらの答えをうまく答えられない大人がいないのは、もうこの世界には(仮に日本だとすれば)学校教育を受けていない現存の人がほとんどいないからだ。
なので、学校教育を受けた人、受けていない人の半々の意見を聞いて決めるなんてことはほぼほぼ不可能なのだ。
そういうわけで、なぜ学校ができたのか、元々どういうものであったのかを調べるわけであるが、
おおまかな流れで行くと(場所は12~13世紀のヨーロッパとか)、
生活に困らない裕福な貴族がこの世の仕組みについて知りたがる
↓
貴族同士でチームを作る
↓
そういう場所を作る
↓
学校(または大学)
っぽい感じである。なるほど、貴族の趣味か。
それと、お金は起源をたどれば、人と人との間の約束の可視化したようなものであるらしい。信頼は可視化しない約束みたいな。
就職での正攻法を明文化すると就職先の人が通ってきた道と同じような道を歩むことである。逆にそれ以外の方法だと、その人が何をするか、何ができるのかを推察できないため採用しにくいという構図だ。
そういうわけで今の世界では学校が王道なのでは?ということである。
で、本筋は学校に変わる手段はないのかという話である。学校がどうデメリットなのか通う人、通った人にとっては自明なので省略。
ようするに、就職への王道とは、
就職先への信頼を得られるような証明を獲得することと、就職先の人が仕事をするにあたって必要な経験であったものを完璧ではなくともあらかじめ経験すること。
この2つさえあれば学校は不要だと言える。
今回は、就職への王道が学校だけではないことと、学校にいくことだけが絶対正義であり、逸脱はタブーみたいなものを解体したよっていうことで締めくくりたい。